東京都有楽町。
大規模改修により比類なき美しさを得た荘厳な東京駅から、皇居、KITTE、三菱一号館美術館や、帝国ホテルに至る丸の内界隈は、まさに日本の一等地。歩くだけで背筋が伸びる超高級ストリートだ。
最近お気に入りの革靴を1080円でピッカピカに磨いてもらったことで上機嫌だった僕は、どうしてもちょっとお高い珈琲を飲みたい気分で仕方がなくなっていた。そこで訪れたのが、
「COVA TOKYO」
創業1817年。ナポレオン軍の兵士であったアントニオ・コヴァによってミラノのスカラ座の傍ら にオープンしたという、歴史の永いカフェ、いや、レストランだ。特別な一日のフルコースから、セレブが集うパーティまで。そんな超高級店である。
そこに、凡人の僕が、普通の一日に、行く。事件である。ちょっとお腹もすいてきたし──。──あ、これもおいしそうだ! ──そういえばお給料も入ったし──。などと理性を失えば、たちどころに財布が空になる。リスキーな行為だ。だが、危険に立ち向かう必要がある。本場のカフェとドルチェを体験したいという一心だった。
COVAは、名古屋のミッドランドスクエアにも店舗があり、あちらも素敵だが、東京店では、丸の内仲通に面するテラス席もある。美術館のような店内に座ってしまうと、長居しそうだし、ちょうど晴れて気持ちの良い天気ということもあって、日が暮れるまでの間という制限を課し、外のテラス席に腰掛けることにした。
目の前には超高級外資ホテルペニンシュラ東京がそびえ立ち、光沢を放つ外車が次々と停まる。道行く人も、ただものではない風格の人ばかりに見えてしまう。聴こえてくるおしゃべりの中には外国語が混じり、世界の中の都市・東京に居るのだと実感する。
ドキドキドキド……一人勝手に緊張が高まる。しかし、物腰穏やかなそんなカメリエーレがタイミングを察して注文を取りに来てくれるので、ほっと一安心だ。
一応メニューは見たが、心は決まっている。カプチーノとサケルだ。
サケルというのは、イタリア風のザッハトルテ。
ザッハトルテといえば、フランツ・ザッハーが考案した、濃厚なチョコレートコーティングと、あんずのジャム、甘くないクリームが特長的なウィーンの名作ケーキ。何故、ザッハトルテがイタリアに? というと、COVAの創業当時、ミラノはハプスブルグ家の支配下にあったためザッハトルテが伝わったそうだ。しかし、ショーケースに並ぶサケルは、どうも僕の知っているザッハトルテとは勝手が違うようだ。
まず見た目が大違い。側面に配された凹凸は何だ? 生クリームは何処に? そして、イタリアが産んだ銘菓ジャンドゥーヤとの出会いはいかに? ただでさえ”完成された”名作ケーキをイタリアがアレンジすると、どうなってしまうのか。興味は尽きない。
来た。
飛びつきたくなる気持ちを抑え、ゆっくり、慎重に入刀する。
……なるほど。
サケルの側面はローストナッツ。分厚いチョコレート層の下に潜む生地は、生クリームとジャンドゥーヤが練り込まれて、ムース状になっている。ナッツのバリバリ感とムースの柔らかさが一体となり、軽やかで独自のザッハトルテとなった。
香りは……あいにく僕の舌ではまだ分析できないものだった。あんずなのだろうか、ベルガモットのような……ほのかだが、上品な香気がした。
もちろん、甘く、脳がとろけそうなほど、美味。
本家のザッハトルテが、重厚なバロック的高級感とすれば、こちらはさながらロココ的高級感といえるだろう。浅炒り珈琲のような、自然な甘さで、ひょっとしたら紅茶とも合うのではないかと思われる。
カプチーノのほうは……あれ、カプチーノ?
カプチーノとは、修道士のフードのカップッチを模した飲み物で、つんと立つほどにふわふわのフォームドミルクが乗ったエスプレッソ……だと記憶しているが、出てきたのは、見事なラテアートが施されたカフェラテ……。間違われちゃった?
謎が深まるが、まあいい。こんなに素晴らしい装いで目の前に出てきたからには、四の五の云わずに、もう吞まずにはいられない。
ミラノからわざわざ低温コンテナで輸送されてきたという深炒り豆は、深入りのはずなのに苦みは軽やかに抑えられ、ジャスミンのような香りが強い。シルキーなミルクに包まれて、冷めてもずっと香り続ける優秀な味だ。
さすが本場は違う。こんなカフェラテを、僕も作ってみたいものだ。
サクレが800円で、カフェラテが950円。サービス料が10%かかる。しめて1925円のイタリア旅行となった。
イタリア、おそるべし。