東京王国の地下 ~Tougours Debuter~

東京都品川区五反田。

目黒川付近に広がる水田の1区画が5反(約5000m2)あったために名付けられたというこの場所は、今やそんな風景は別世界の話のように見る影もなく、山手線、東急池上線、都営浅草線が交錯し、事業所、飲食店、風俗店が密集するせわしない街だ。

満員電車やオフィスで傷つけ合い、酒と女で慰め合う。基本的にはなんでも揃うが、本当に欲しいものは何もない。人間とは何なのか。都市とは何なのか──。高架線の彼方から、皮肉なほどに晴れた秋の夕暮れが問いかけてくる。

そんな疑問に息が詰まりそうになったら、この場所を訪れてみよう。

「Cafe Touogours Debuter(トゥジェールデビュテ)」

フランス語で「日常」と「はじまり」を冠するこのお店に入れば、きっと空虚な気持ちをリセットさせてくれる。

カタカナのフォントと赤い軒先テントが可愛らしい入口だが、実は1985年創業のれっきとした老舗。つまり30年前から五反田という街にあり続けてきたのだ。

階段を下りてみると、一歩一歩、現代の気配が遠のき、気品ある珈琲屋の匂いが漂い始める。突き当りには味わい深い店内のイラストと、そして花瓶に華が飾られている。

ヨーロッパの古城の地下を思わせる店内は雰囲気抜群だ。アンティークランプから放たれる光が、水出し珈琲サーバーの古いガラスや、艶やかなテーブル、コーヒーカップの白、あらゆる調度品に反射され、満ちている。バーのようなカウンター席と、小さなテーブル席があり、一人で入っても、デートや、秘密の会合で入ってもサマになる。

この日はカウンターに座ってみた。

年配のマスターと奥様がふたりで経営されているが、その所作や何気ない会話が心地良い。

おふたりを観ていると、ふいにこの店の本当の姿が見えてくる。ひときわ渋いマスターと、彼をちゃきちゃき支える奥様。艶やかに磨かれた調度品と、随所に配された花たち。こだわいのコーヒーと豊富なメニュー。クールとキュートが同居するこの空間は、まさにこの人たちの手によって造られ、長い月日をかけて手入れされてきたハンドメイドなのだ。

さて、この日はハロウィンも近いということで、ブレンドとカボチャのプリンを頂くことにした。ひとつ腰を落ち着けて注文をする頃になると、季節や気分を考えたり、遊び心が出てくる。

7種類のエイジングビーンズを使用しているというブレンドは、ネルドリップで丁寧に抽出される。香りや酸味は控え目で、漆黒の見た目とは裏腹に軽やかな苦みと甘みがすーっと沁み込んでくる。そのまま呑んだり、ケーキ類と併せるのはもちろんのこと、サンドやクロックムッシュなどの軽食にも合うこと間違いない。

カボチャのプリンは、自然な甘さとなめらかな食感がなんとも良い。羊羹やかぼちゃ餡ほど重くなく、スーパーのゼラチンプリンほど軽くもない。焼きプリンの真ん中の部分を取り出したかのような上質なテクスチャー。ぽちょりと乗ったゆるめのクリームや、たれ具合が絶妙なカラメルソースは、見た目にも立体感を与えているが、口に入れるとうまい具合に溶け合い、舌の上でおだやかなアルペジオを奏でる。

十分な休息を得て、街に戻ると、日は暮れ、地下も地上も同じような暗さになっていた。少しだけ、夜の散歩をする。何か大きな仕事を解決したとか、人生の答えが見つかったかというと、そんなことはない。だが、もう少し歩いて行けそうだ。

この景色も、匂いも、いつか変わるのだろうか。見つめる先の濁った川面は闇に沈み、都市の明かりを反射するのみであった。

 

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