ふわふわしたい ~星乃珈琲店 スフレ館~

こんばんは。

あまりにも寒いので、今夜もあたたかいカフェの思い出をお送りしよう。最近もどうも忙しいし、ちょうど去年の今頃の僕って、何処に出かけただろうか……と写真をぱらぱら見返していると、あったあった。こんなものが。

「星乃珈琲店 スフレ館」

金色のプレートが眩しい。わくわくしていたあの日の記憶が蘇ってくる……。

星乃珈琲店はご存じドトール・日レスホールテディングスが経営するチェーン店なのだが、シックな内装が心地いいわりと大人な空間だ。カフェ研究家を自称すると、マイナーなお店ばかり行く気難しい人だと思われがちだが、こういう気さくなお店も大好き。

といっても、大企業の経営戦略に乗っかって、なんでもかんでも宣伝するような気はさらさらないし、例えば、わゆるインスタ映えばかり狙ったような見た目重視のスイーツ(笑)や、牛丼チェーンよろしく苛烈な価格戦争を目の当たりにすると目の当たりにすると心がぐったりしてしまうのだが……まあ、たまには、大人の苦労や業界の厳しさなどほとんど知らない中学生くらいの異邦人になったつもりで、チェーン店を訪れてみよう。

さておき、「スフレ館」である。

星乃珈琲店は星乃珈琲店でも、ただの星乃珈琲店ではない。「スフレ館」なのである。

この店舗はちょっとレアで、文字通りスフレのメニューが充実している。Souffleとは、フランス語で「炊いた」を意味する、メレンゲを使用した料理のこと。日本ではスフレパンケーキなど、ふわふわ甘々スイーツが有名だが、実は主食にもなる、懐の深い料理だ。

スフレ館は、関東では、今回紹介する下北沢店と、新宿東口店があるのだろうか。もしかしたら今後もっと増えるかもしれないし、増えないかもしれない。「ここはチェーン店だけど、実はここにしかないメニューがあるんだ」なんて云えたら、中高生のデートでは微笑ましい合格点ではないだろうか。知らんけど。

下北沢にあるスフレ館は地下にあって、階段を下りていくと、ダウンライトの落ち着いた雰囲気が広がる。この日は雨で、僕が訪れたのは16:00くらいだっただろうか。中途半端な時間だったにもかかわらず、階段を下りた入り口のところには結構人が並んでいて、人気ぶりが伺えた。

下北沢といえば、ライブハウスや個性的なバー、古着屋さんといった、若者の街という印象があるが、並んでいる人たちはやや年齢層が高めで、こころなし渋めの人が多い気がする。いい歳こいた男で、スフレスフレとはしゃいでいるのは僕くらいなものだ。そんな感じが、またいっそう若い時分を思い起こさせ、勝手に盛り上がる。

この日注文したのは、ビーフシチューのスフレドリア。価格は、確か1000円。普段読まない新聞でもひろげて待っていると、おお、来た来た。

 

見よ。

生地がしぼんでしまわないか躊躇しながら慎重に、スプーンの先で分厚いスフレ生地を破ると、あつあつとろとろのビーフシチュードリアのおでましである。スフレとビーフシチュードリアをちょこちょこと混ぜながらいただく。

はじめに適温なスフレのふわふわ食感とほどよい塩気がきて、きのこやビーフの滋味と食感が追いかけてくる。何よりの醍醐味は、熱いブラウンソースに包まれたライスの”のど越し”だろう。オムハヤシが大好きな人は、もちろん大好きな味と食感に違いない。しかし、オムハヤシとは全く別物。甘い嘘のような、未知の世界である。もくもくと食べていく。

チェーン店なので、何かにつけて、多少の作り物めいた感じや無関心な感じは否めない。それなのに、どうしてこうも居心地よく感じてしまうのだろうか……。どうして僕らは、こんなおいしいものを、こんなにもお手軽に食べられてしまうのか。企業と消費者の関係。人と人の関係。街とは何なのか。社会とは何なのか。僕とこの店の間には、いまだ茫漠すぎる時間が、どうしようもなく横たわっていた。

でも……

僕をとらえたその不安は、やがてゆるやかに溶けていき、後には、スフレのやわらかなふわふわだけが残っていた。

食後はまったりとブレンドをブラックで。ごちそうさまでした。

雨宿りするスズメ ~Cafe et Galarie Moineau~

夏から冬へと一気に寒くなった。

ニュースで流れる「気温差13℃」の衝撃と残業に肩を痛めながら、のそのそと起き出し、カプチーノを作っては呑み続ける土曜日の午後。こんな日こそカフェや温泉が必要だが、今日はあまり出かける気も起きない。

そんなわけで、今日は夏の終わりカプチーノにまつわる思い出を綴ってみようかと思う。

その店を僕が訪れたのはちょうど一年ほど前の事だった。その日は友人と、東京都美術館で開催された「ポンピドゥーセンター展」を観た後、急いでカレーを食べて別れ、ひとり水月ホテル鷗外荘の日帰り温泉で疲れを癒していた。ポンピドゥーセンター展も鷗外荘でのひと時もとても良かったので機会があればそんな話もしてみたいが、とにかくその日の僕は、セン トゥートゥーセントゥーという味わい深い言葉の響き頭の中に転がしながら、軽やかに歩いていた。

美術館の連立する広大な上野公園を南西に抜けると、木々と古い建物の合間を抜ける鬱蒼とした坂道が広がる。平野のようにのんびりと広がる上野のイメージも大好きだが、不忍池やくらやみ坂といった少し不気味な名前を冠するこのエリアは、どことなく通で渋い感じというか、おばけ屋敷的なワクワク感というか、「ありそうでありえない」非日常的な散歩を与えてくれる良い場所だ。季節折々の楽しみ方はもちろんあるが、個人的にはどことなく夏から秋にかけて訪れるのにぴったりな気がする。

 

そんなひんやりとした坂道の途中に、レンガ調の温かで美しい建物が挟まっていることに気づいた。

「Cafe et Galarie Moineau」

モアノとは、フランス語でスズメのこと。日本画によく描かれるためか、スズメというと日本のイメージがあったが、フランスにもスズメはいるのだろう。なんとも親しみが持てて、しかしお洒落で可愛らしいお店であろうか。最初はカフェだとは思わなかったが、近づいてみると本格的なフレンチカントリーなカフェのようだ。決めた。ここに寄っていこう。

足を踏み入れると、思っていたよりも広い。中庭と、地下にはギャラリースペースがあり、まるで、魔法で隠されていた空間にうっかり迷い込んだようなロマンを感じさせてくれる。

そう、この空間は、人を乙女にする。

メニューは豊富で、ガレットが名物のようだ。とてもおいしそうだが、この日はなんとなく一杯のカプチーノだけを頂くことにした。

中庭の緑の中にときどき出現するにゃんこと、店内でおとなしく昼寝する大型犬を眺めながら待っていると、見事なリーフの描かれたカプチーノが運ばれてきた。注ぐ動作だけで描かれるラテアートは単に見た目のの華やかさだけではなく、ミルクとエスプレッソ上質であることの証だ。雰囲気重視の小さなお店とあなどるなかれ、これは期待をはるかに超えた魔法のようなお店だ。

一口含んでみると、砂糖がいらないくらいのミルクの甘みがすーっと広がる。いつまでも維持されるシルキーなミルクは、時のながれをゆっくりにしてくれる。

刻々と暗くなってくる空だけが僕に帰宅を促す。名残惜しい気もするが、かといって、不思議と淋しい気持ちはない。一杯のカプチーノで、僕は十分過ぎるほど居心地の良い時間を過ごした。あまり野暮な言葉を重ねすぎると、魔法が溶けてしまいそうだ。

しかしまあ、絵本の世界への入り口は、案外といろんな場所にあるものだ。今後も暗い坂道を歩くときは、小さな動物になった気分で、注意深く周りを観察してみよう。

ミラノで味わう貴族の気分 ~COVA TOKYO~

東京都有楽町。

大規模改修により比類なき美しさを得た荘厳な東京駅から、皇居、KITTE、三菱一号館美術館や、帝国ホテルに至る丸の内界隈は、まさに日本の一等地。歩くだけで背筋が伸びる超高級ストリートだ。

最近お気に入りの革靴を1080円でピッカピカに磨いてもらったことで上機嫌だった僕は、どうしてもちょっとお高い珈琲を飲みたい気分で仕方がなくなっていた。そこで訪れたのが、

「COVA TOKYO」

創業1817年。ナポレオン軍の兵士であったアントニオ・コヴァによってミラノのスカラ座の傍ら にオープンしたという、歴史の永いカフェ、いや、レストランだ。特別な一日のフルコースから、セレブが集うパーティまで。そんな超高級店である。

そこに、凡人の僕が、普通の一日に、行く。事件である。ちょっとお腹もすいてきたし──。──あ、これもおいしそうだ! ──そういえばお給料も入ったし──。などと理性を失えば、たちどころに財布が空になる。リスキーな行為だ。だが、危険に立ち向かう必要がある。本場のカフェとドルチェを体験したいという一心だった。

COVAは、名古屋のミッドランドスクエアにも店舗があり、あちらも素敵だが、東京店では、丸の内仲通に面するテラス席もある。美術館のような店内に座ってしまうと、長居しそうだし、ちょうど晴れて気持ちの良い天気ということもあって、日が暮れるまでの間という制限を課し、外のテラス席に腰掛けることにした。

目の前には超高級外資ホテルペニンシュラ東京がそびえ立ち、光沢を放つ外車が次々と停まる。道行く人も、ただものではない風格の人ばかりに見えてしまう。聴こえてくるおしゃべりの中には外国語が混じり、世界の中の都市・東京に居るのだと実感する。

ドキドキドキド……一人勝手に緊張が高まる。しかし、物腰穏やかなそんなカメリエーレがタイミングを察して注文を取りに来てくれるので、ほっと一安心だ。

一応メニューは見たが、心は決まっている。カプチーノとサケルだ。

サケルというのは、イタリア風のザッハトルテ。

ザッハトルテといえば、フランツ・ザッハーが考案した、濃厚なチョコレートコーティングと、あんずのジャム、甘くないクリームが特長的なウィーンの名作ケーキ。何故、ザッハトルテがイタリアに? というと、COVAの創業当時、ミラノはハプスブルグ家の支配下にあったためザッハトルテが伝わったそうだ。しかし、ショーケースに並ぶサケルは、どうも僕の知っているザッハトルテとは勝手が違うようだ。

まず見た目が大違い。側面に配された凹凸は何だ? 生クリームは何処に? そして、イタリアが産んだ銘菓ジャンドゥーヤとの出会いはいかに? ただでさえ”完成された”名作ケーキをイタリアがアレンジすると、どうなってしまうのか。興味は尽きない。

来た。

飛びつきたくなる気持ちを抑え、ゆっくり、慎重に入刀する。

……なるほど。

サケルの側面はローストナッツ。分厚いチョコレート層の下に潜む生地は、生クリームとジャンドゥーヤが練り込まれて、ムース状になっている。ナッツのバリバリ感とムースの柔らかさが一体となり、軽やかで独自のザッハトルテとなった。

香りは……あいにく僕の舌ではまだ分析できないものだった。あんずなのだろうか、ベルガモットのような……ほのかだが、上品な香気がした。

もちろん、甘く、脳がとろけそうなほど、美味。

本家のザッハトルテが、重厚なバロック的高級感とすれば、こちらはさながらロココ的高級感といえるだろう。浅炒り珈琲のような、自然な甘さで、ひょっとしたら紅茶とも合うのではないかと思われる。

カプチーノのほうは……あれ、カプチーノ?

カプチーノとは、修道士のフードのカップッチを模した飲み物で、つんと立つほどにふわふわのフォームドミルクが乗ったエスプレッソ……だと記憶しているが、出てきたのは、見事なラテアートが施されたカフェラテ……。間違われちゃった?

謎が深まるが、まあいい。こんなに素晴らしい装いで目の前に出てきたからには、四の五の云わずに、もう吞まずにはいられない。

ミラノからわざわざ低温コンテナで輸送されてきたという深炒り豆は、深入りのはずなのに苦みは軽やかに抑えられ、ジャスミンのような香りが強い。シルキーなミルクに包まれて、冷めてもずっと香り続ける優秀な味だ。

さすが本場は違う。こんなカフェラテを、僕も作ってみたいものだ。

サクレが800円で、カフェラテが950円。サービス料が10%かかる。しめて1925円のイタリア旅行となった。

イタリア、おそるべし。

 

 

 

 

東京王国の地下 ~Tougours Debuter~

東京都品川区五反田。

目黒川付近に広がる水田の1区画が5反(約5000m2)あったために名付けられたというこの場所は、今やそんな風景は別世界の話のように見る影もなく、山手線、東急池上線、都営浅草線が交錯し、事業所、飲食店、風俗店が密集するせわしない街だ。

満員電車やオフィスで傷つけ合い、酒と女で慰め合う。基本的にはなんでも揃うが、本当に欲しいものは何もない。人間とは何なのか。都市とは何なのか──。高架線の彼方から、皮肉なほどに晴れた秋の夕暮れが問いかけてくる。

そんな疑問に息が詰まりそうになったら、この場所を訪れてみよう。

「Cafe Touogours Debuter(トゥジェールデビュテ)」

フランス語で「日常」と「はじまり」を冠するこのお店に入れば、きっと空虚な気持ちをリセットさせてくれる。

カタカナのフォントと赤い軒先テントが可愛らしい入口だが、実は1985年創業のれっきとした老舗。つまり30年前から五反田という街にあり続けてきたのだ。

階段を下りてみると、一歩一歩、現代の気配が遠のき、気品ある珈琲屋の匂いが漂い始める。突き当りには味わい深い店内のイラストと、そして花瓶に華が飾られている。

ヨーロッパの古城の地下を思わせる店内は雰囲気抜群だ。アンティークランプから放たれる光が、水出し珈琲サーバーの古いガラスや、艶やかなテーブル、コーヒーカップの白、あらゆる調度品に反射され、満ちている。バーのようなカウンター席と、小さなテーブル席があり、一人で入っても、デートや、秘密の会合で入ってもサマになる。

この日はカウンターに座ってみた。

年配のマスターと奥様がふたりで経営されているが、その所作や何気ない会話が心地良い。

おふたりを観ていると、ふいにこの店の本当の姿が見えてくる。ひときわ渋いマスターと、彼をちゃきちゃき支える奥様。艶やかに磨かれた調度品と、随所に配された花たち。こだわいのコーヒーと豊富なメニュー。クールとキュートが同居するこの空間は、まさにこの人たちの手によって造られ、長い月日をかけて手入れされてきたハンドメイドなのだ。

さて、この日はハロウィンも近いということで、ブレンドとカボチャのプリンを頂くことにした。ひとつ腰を落ち着けて注文をする頃になると、季節や気分を考えたり、遊び心が出てくる。

7種類のエイジングビーンズを使用しているというブレンドは、ネルドリップで丁寧に抽出される。香りや酸味は控え目で、漆黒の見た目とは裏腹に軽やかな苦みと甘みがすーっと沁み込んでくる。そのまま呑んだり、ケーキ類と併せるのはもちろんのこと、サンドやクロックムッシュなどの軽食にも合うこと間違いない。

カボチャのプリンは、自然な甘さとなめらかな食感がなんとも良い。羊羹やかぼちゃ餡ほど重くなく、スーパーのゼラチンプリンほど軽くもない。焼きプリンの真ん中の部分を取り出したかのような上質なテクスチャー。ぽちょりと乗ったゆるめのクリームや、たれ具合が絶妙なカラメルソースは、見た目にも立体感を与えているが、口に入れるとうまい具合に溶け合い、舌の上でおだやかなアルペジオを奏でる。

十分な休息を得て、街に戻ると、日は暮れ、地下も地上も同じような暗さになっていた。少しだけ、夜の散歩をする。何か大きな仕事を解決したとか、人生の答えが見つかったかというと、そんなことはない。だが、もう少し歩いて行けそうだ。

この景色も、匂いも、いつか変わるのだろうか。見つめる先の濁った川面は闇に沈み、都市の明かりを反射するのみであった。

 

音楽も珈琲もAから始まる ~AS TIME~

やあ。

今回も引き続き僕の地元・仙台のカフェをご紹介。

仙台味噌ならぬ手前味噌な話だが、仙台はカフェが本当に多い気がする。歴史あるお店が本当にお隣同士に出店していたり(「珈巣多夢」と「Cafe de Garcon」)、雑居ビルの2階と3階(「Cafe Mozart」と「瓦 CAFE&DINING Sendai」、極端なところだと、一つのデパートのビルに4軒も入っているところもある(仙台三越 定禅寺通り館)。

僕はサッカーや野球には疎く、選手の名前は片手で数えるくらいしか思いつかないが、仙台に星の数ほどあるカフェの名前を挙げてくれと云われたら、それこそ呪文のように延々としゃべり続ける自信がある。

そんな天の川の激流の中で磨かれた味と雰囲気。一度と云わず、何度も足を運んでみてほしいものだ。

さて、今日はその中でも北極星のように輝く老舗をご紹介したい。仙台のカフェ好きで、この店を知らないとしたら、それはモグリかもしれない。

とはいえ、お店はひっそりと、隠れ家的に存在している。

先日紹介した美しい定禅寺通りや、都会的な仙台駅前からは少し外れ、歴史ある一番町商店街の賑わいを潜り抜けていくと、あの看板が見えてくる。

「AS TIME」

階段を下りていくと、商店街の喧騒が息を潜め、静謐な時間が待ち構えている。

 

これこれ。営業中の看板に今日もほっとする。

入ってみると意外と広い店内には、地下にあるのに解放感が抜群だ。小さな木のテーブルと椅子が満ち、無音と珈琲の香りが満ちている。余計なものは置かず、引き算を極めた清潔で美しい空間。立派な白髪髭をたたえたマスターの「いらっしゃいませ」の言葉が、まるで心の中に響いてくるようだ。

メニューはきっぱりと珈琲の類だけ。しかし薄口、中農、濃口と、濃さを選択できるので、その日の気分に合わせて注文することができる。また、ブラックが苦手という方は、もちろんミルクとお砂糖を加えていただくのもよいだろう。徹底されたこだわりはあるが、懐の深さもまた、この店の絶妙な魅力なのだ。

友との語らいと珈琲。

一冊の本と珈琲。

煙草と珈琲。

あらゆるシーンに寄り添う珈琲たち。

そして何より、そんなシーンの間、話や頁の途切れ、灰が落ちる瞬間。束の間訪れる「無」の時間。こいつがたまらない。

ネルドリップで丁寧に抽出されたデミタスは、漆黒……というよりも、もはや黒いガラスを思わせる純度100%の深いコクと切れ味。

「珈琲の店」「デミタス」というと、どうしても銀座にある「珈琲だけの店 CAFE DE L’AMBRE」(国宝と云って差支えない超絶名店!)を連想するが、ランブルより控え目な感じかな。ランブルは珈琲マニア向けの感があるけど、こちらはあくまで人に彩りを添える珈琲。究極という意味ではかなり近いんだけど、方向性は違ってる。なんて、まあごたくはいい、一口。

……もう何も云うまい。

土産の珈琲豆を包んでもらう間に、二言三言マスターと話した。「今日はジャズフェスですが、マスターは聴きに行かれました?」「いえいえ、私はずっと店におりますよ」それは他愛ない話だが、大切な時間の一部だ。マスター、いつまでもお元気で。

ちなみに、ショップカードは数年前にリニューアルされて、店名の部分が金色の文字になった。息子さん?の意向だったか。

「実は金色はあんまり好きじゃないけどね」などとにこやかに謙遜するマスター。でも、これもなかなか素敵だ。

アズ・タイム。

時のままに。

かけがえのない一瞬を慈しみながらも、ずっと立ち止まっていることはできない。一杯の珈琲を飲み終えた僕は、また喧騒の中に身を投じていくが、この味を忘れない限り大丈夫なのだ。そして、この場所を必要とする人がいる限り、AS TIMEもきっと、ずっと、大丈夫だ。

杜の都の甘い特等席 ~甘座洋菓子店~

杜の都、宮城県仙台市。

夏の終わりはジャズ、冬は光のページェント。美しい構造物と自然が溶けあい、四季折々の風が駆け抜ける定禅寺通。

数えきれないほどのカフェが軒を連ねるこの場所は、僕にとって心の原風景だ。けやき並木から降り注ぐ木漏れ日と、何処からともなく漂ってくる珈琲の香りは、かつて十代だった僕に洗礼を与え、そして大人になって街を離れた今も、そこを通り抜けるたびに、大切な何かをそっと教え続ける。

今日は、そんな通りの一角にある老舗洋菓子店を紹介したい。

甘座洋菓子店。

1968年の創業から続く、名店中の名店だ。

およそ50年前の日本とはどんな国だったのだろうか。ラジオからはビートルズが流れ、タカラから「人生ゲーム」が発売され、ケネディ大統領が暗殺された時代。僕はそれらを史実として知るのみだ。

だが、どうだろうか。この店のケーキを傍らに遥かな時を過ごしてきた人々──母に連れられやってきたお菓子大好き少女、悩める学生、尊敬する先生のもとを訪れる人、恋人たち、品の良い祖父母、いくつもの家族──の姿を、まるで実際にこの眼で見てきたかのように思い浮かべることができる。

僕と甘座の関係はというと、実は最近、仙台を離れた後に始まった。

仙台で暮らした頃も甘座の前を通ること自体はよくあり、かつてから「この美しい店のケーキを食べてみたい。この景色の一部になりたい」という強い想いにうなされたものだった。しかし、当時僕が住んでいたのは宮城県の辺境にある住宅街で、華やかな仙台市街からは電車をバスを乗り継いで二時間以上かかる。交通費も馬鹿にならないし、生クリームの載ったやわらかな洋菓子を、日差しや乱暴なバスの運転から守りながら帰宅する自信もない。だいいち、この定禅寺通の木漏れ日の中で、きちんと皿に盛りつけてこのケーキを口に出来たら、それはどれほど幸せだろうかと思うと、ただただ自分の不運を噛みしめて、店の前を通り過ぎるしかなかったのだ。僕と同じ思いを抱いた人も、少なくないのではないだろうか。

ところが僕は、大人になった今、仙台市街のホテルに滞在して、この店のケーキを買って歩いて部屋に帰るということがよくある。皮肉なことに、一度仙台を離れたことによって、僕と甘座は近くなった。ほかならぬ自分の稼いだお金で、ただ自分のために、あるいは大切な誰かのために。一輪の花を選ぶように、ショーケースの中を覗き込む。ほろ苦い思い出をひたすらに甘く癒すように、そこにはいつまでも変わらない作品たちがあり、僕もきっと、当時のままの憧れのまなざしをそれに向けている。

かなり前置きが長くなったが、先週末もひとり、甘座に寄ってきた。

店内にはBGMはなく、冷蔵ケースの静かな動作音が流れている。時が止まったかのようだが、寂しさや緊張感は一切なく、むしろわくわくとした気持ちが高まって止まらない。

もしもあなたが、

「苺のショートケーキの絵を描いてください」

と云われたら、真っ先に想像するであろう苺のショートケーキ。

それが甘座のケーキだ。

昔ながらのバタークリームをふんだんに使用した小ぶりのケーキは、どれも絶妙にほっとする味。甘座という、とびきりあまあまな名前とはうって変わって、甘さは控え目で、超一流パティシエの作品に引けを取らない上品な味わいだ。

改めて値段を確認すると、300円代からと、とにかく安い。価格設定もほとんど当時のままなのだ。すべて買ってしまいたい気持ちを抑えて、この日もひとつだけ、注文する。

ところで、今回は驚かされたことがあるので記したい。

なんと、イートインスペースができて、+100~200円で珈琲を頂けるようになったのだ!!!

以前から小さな椅子はあったが、そこは、ケーキを包んでもらうときや、発送の宛名を書くときに、わずかに腰掛ける場所であった。

「喫茶スペースになったんですね」

と見慣れない若い店員さんに尋ねてみると、

「私が来た頃は、こういうふうでしたよ」

とのこと。

はあ~!

時代移り変わりを感じながら、僕もさっそく腰掛ける。

この場所で、珈琲と一緒に、甘座のケーキが頂ける。これは革命。至福である。あー、生きていてよかった。

この日は暑かったので、ラ・フランスのタルトと、アイスコーヒーとしゃれこんだ。

 とろける。

向かい合ったテーブルは1卓のみ。壁際の椅子も含めて、わずか6席の小さなカフェと相成ったわけで、これは相当運が良くなければ、座れないことは覚悟しなければならないだろう。特に窓際のテーブル席は、杜の都のS級特等席と云わざるを得ない。

しかし、なんだっていいことがあったもんだ……。

多くの人に愛される甘座。

この店の甘い思い出は、けやき並木に見守られながら、これからもひとつずつ大切に紡がれていくようだ。

 

スコップケーキをたべながら ~BOWL~

──海老名。

海老名は神奈川の真ん中あたり。交通情報のニュースで、海老名SAの名前がときどき出るので、名前だけ知っている人も多いかもしれない。

一昔前は何もなく、それこそ本当にSAくらいしかなかった(失礼)のに、最近特に発展の目覚ましい土地だ。

高速道路もそうだが、電車も、小田急線、相鉄線、相模線が通っているし、駅を挟んで東に「ビナウォーク」、西に「ららぽーと」と2大ショッピングモールがしのぎを削る。微妙に可愛くない(失礼)謎のゆるキャラ「えびーにゃ」もすっかり定着し、いわば神奈川の西のターミナルである。

2017年8月31日。

そんな海老名のあるブックカフェが惜しまれながら閉店した。

「BOLW ららぽーと海老名店」。

この写真では天井しか映っていないが、ナチュラルテイストのテーブル、座面がふかふかの椅子と、イミテーショングリーンたちに彩られた広いカフェだ。本屋さん・雑貨屋さんが併設されており、食事を注文すると、購入前の本を席で読むことができるシステムだ。

周囲は思い切りショッピングモールの喧騒なのに、この場所だけはちょっとだけ静かで居心地が良い。それはきっと、外面だけを取り繕う若者向けファストファッションのショップのさなかににあって、このお店だけは内面に目を向けているからだったかかもしれない。客層も、ひとりやふたりで、黙々とテーブルに向かっている人が多かった。

本というやつは、どれだけ読んでも読み過ぎるということはなく、しかしいちいち買うと場所を取るし、借りると気を遣いうしで、案外付き合い方が難しい。何より、ある一冊の本をしっかり集中して読み切るというのもいいが、図書館や書店で、好奇心の赴くままに何冊もの本を手に取って、ぱらぱらと頁をめくるという行為も大きな魅力の一つだ。BOWLは後者のような環境を与えてくれる素敵な場所で、会社帰りや休日によく寄らせていただいた。

そしてBOWLのもう一つの大きな魅力は、なんといっても豊富なフードメニューであろう。

喫茶、

しっかりとした食事、

アルコール。

とまあ、三拍子も四拍子もそろったお店だった。

場所代も含まれているので、価格設定はやや割高ではあったものの、ポイントカードのスタンプがすぐに貯まったり、ランチパスポート(というクーポンブック。掲載のランチがワンコインで食べられる!)が使えたので、むしろ安く感じてしまうくらいである。

数あるメニューの中で僕が一番よく食べたのが、白桃のスコップケーキだった。

スポンジケーキとフルーツ、ゆるめの生クリームをバットに重ね、スコップで大胆にすくって取り分けたケーキだ。これがもうコーヒーの進むいい甘さで、歯が無くても食べられるようなやわらかさと相まって、止まらないのだ。

片手に文庫本、片手にスプーンで、もくもくと甘い読書タイム。

ランチパスポートで、コーヒーとセットで500円だった期間もあったが、頭がスポンジになったみたいにこればっかり注文していて、そんなことをしている間にポイントがたまってケーキ無料券が出てくるので

──もう病みつきである。

そんなベタ褒めのBOWLの閉店ということで、先週はなんとも寂しい思いをした……。寂しさに拍車をかけたのは、閉店セール。雑貨が最大70%OFFになったり、お店で使用していた食器やインテリアがアウトレット品として販売されたりして、閉店の日が近づくにつれいよいよスカスカになってきた。

雑貨好きな人とってはお得ではあるが、こういうお得さはすんなりとは受け入れがたい。雑貨自体はもちろん好きだが、雑貨が集まっているあの空間が好きだったんだな、とつくづく知らされた。

閉店セールで、僕はココットを購入した。

何の変哲もないココットだが、この店で使われていたからこそ、なんとなくほしくなったのだ……。

空っぽになった店内とは引き換えに、コミュニティーノートは、閉店を惜しみ感謝を告げる言葉で埋め尽くされた。

 ありがとうございました。またいつかお会いしましょう。

 

 

 

 

……ちなみに、最後に朗報を。

店員さんと話して知ったのだが、こちらのブックカフェは、リーディングスタイル株式会社というところが経営されているそうで、この会社自体が無くなったわけではないようだ。

何もかも同じというわけにはいかないが、「ソリッドアンドリキット コミコミスタジオ町田」や「マルノウチリーディングスタイル」などの姉妹店は今も営業中とのことなので、こちらも足を運んでみたい。

出会いがあれば別れがある。別れがあれば出会いもある。

地下室のアリス ~喫茶去~

今日は新潟にあるカフェのお話。

新潟──ニイガタ。そこがどんな土地なのか、あまり知らない人も多いだろう。

夏は、脈々と広がる山と田、そこを駆けていく風と、花火、祭りの匂い。

冬は、雪深き大地に点在する古民家、お米、日本酒、そして魚。

まずはそんなイメージだろうか。

もちろんそれは当たっている。そして、ちょっとネットで調べてみようものなら、優れた地場産品や歴史・風景のオンパレードだ。今度は一転、華やかな観光地としての顔が視えてくる。

しかし、前述の田舎的なイメージとは裏腹に、特に新潟市内はわりと都会的な”街”だ。実に当たり前のことだが、そこで暮らす人も皆等しく現代の技術や悩みを享受しているわけで、スマホを使い、ビルのオフィスに通勤し、商店街やショッピングモールに買い物に行く。時折外国人の姿も見られれば、お酒が苦手な人もいれば、お米よりパンを好む人もいるだろう。

僕も縁があってそこを歩くまで、ニイガタを知ることはなかったし、今も”よく知っている”とは云えない。変わり続ける、広く、懐の深い土地だ。

そんな土地の片隅に、不思議な空間がある。

カフェ「喫茶去」だ。

場所は、東中通というところ。新潟駅から西側へ、萬代橋を超え、さらに歩くと日本海に至る大通りを少し曲がったところ。さらに直進すれば、白山神社という大きな神社に辿り着く。

この辺りは、「都会の喧騒を少し外れた」という表現がまさにぴったりな界隈で、わいわいとした雰囲気が一瞬途絶え、車の走行音が少し大きく聞こえ出すような感じの場所だ。一目で何屋さんという店たちが姿を潜め、注意深く歩いていなければ、そこに不思議の国の入り口があるとは気づかない。

アンディ・ウォーホルの猫のイラスト(だと後に知った)とゆるめのフォントに彩られた赤い看板に導かれ、地下に降りることにする。

地下はとても暗く、ひんやりと静まり返っている。夏であれば地上とのコントラストが激しくて、灯りがなければ自分の手元も見えなくなりそうなほどだ。この地下通路を奥に進んでいくのはなかなか勇気がいるが、幸い、カフェ「喫茶去」のドアは階段を下りたすぐそこにあり、ほっとする灯りをたたえている。

内装もやはり薄暗くレトロな喫茶店で、落ち着いた赤を基調とした床や、冬には現れる可愛らしいストーブが印象的だった。

「だった」というのは、ここを訪れたのがもう8年ほど前の夏の夜になるからだ。つい先日も、新潟を訪れる機会に恵まれ、喫茶去へと向かったが、そのドアは暗く閉ざされたままだった。もう営業していないのだろうか……。情報をお持ちの方は、是非ご連絡いただきたい。

ある夜、僕は洋ナシのパンナコッタをいただいた。コーヒーとセットで700円くらいだっただろうか……。白いココットを照らし出すキャンドルがひときわ美しかったのをよく覚えている。

また、ここを語るとき、忘れられない思い出がある。

地下の薄暗さとプロジェクターを利用して、壁にサイレント・ムービーが映し出されていたことだ。その映画は、「不思議の国のアリス」(1903)。何かのイベントだったのか不明だが、客は僕と数名だけで、誰もが、なんでもないことのように、自然に時を過ごしていた。もっとも、僕だけは全編を食い入るように観てしまった。

木陰でうたたねをしたアリスが迷い込むのは、着ぐるみの動物たちが演じるちぐはぐな世界。涙で溺れかけ、名前すら忘れて、もう現実の世界に還れないのでは、という不安が鎌首をもたげるも、好奇心の赴くままに次々と舞台を移動していくアリス。トランプ兵と女王様のクロッケーに興じ、ロブスターたちと踊り、ハートのジャックの裁判に参加してしまう……。

ある種不気味ともいえ、ひたすらに美しいともいえるこの物語は、喫茶去によく似合っていた。

指先に灯るライムの香り ~The CAFE~

2017年8月20日。

雨ばかりに苛まれたこの年の夏の終わり、僕は大好きな横浜を歩いていた──。

異国情緒と歴史に彩られ、数々のランドマークを抱くこの街は、まさにロマンの街と云っても過言ではないだろう。

横浜駅にひしめく現代的な雑踏、桜木町からベイエリアへと広がる華やかな世界、伊勢佐木町の庶民的な商店街や、野毛や黄金町に漂う、仄暗く猥雑な空気──。一口にヨコハマと云っても、沿線の町は何処も強い個性を放ち、光と影が互いを強め合っている。物語の凝縮された都市だ。

地元から観光に来た友人は「まるで外国に来たようだ」と評したが、おそらくどちらの国の出身者でも「外国に来た」と感じるのではないだろうか。人々の果て無き強い願望が創り出した街は、優しく、狂気的で、よそよそしい。つまり、遠い。

今も随所で新たな歴史を刻み、作り変えられていくこの街を目の前にしたとき、限られた時間しか持たない我々は、誰もが異邦人でしかありえないのだ。

そんな横浜あるカフェもまた、尊い星の光を数えるほどに、語り尽くすことはできない……。

しかし今夜は誰もが認めるであろう北極星を紹介したい。

山下公園のシンボル「HOTEL NEW GROUND」──

日本のクラシックホテルの代表格とも云えるニューグランドホテルは、洋食文化史の担い手でもあり、ここが元祖とされるナポリタン、シーフードドリア、プリン・ア・ラ・モードは伝説の3品としてあまりに有名だ。また、お酒好きな方には、粋なバー「SEA GUARDIAN」もかけがえのない場所であろう。シェリー酒を使った貴重なマティーニ「マティーニ・ニューグランド」などが愉しめる。人の歴史はまさに食の歴史でもあることを実感できるホテルである。

そんなホテルのカフェ、その名も「The CAFE」は、明るく清潔感のある木のテーブルと、窓の向こうに浮かぶ山下公園通りの並木と海が印象的な空間である。育ちの良い喫茶店のお手本とでもいうべき存在だろう。

残念ながら「コーヒーハウス」というわけではないので、珈琲の銘柄や淹れ方にこだわったお店ではない。ところが、恭しいサービスや豊富な幅広い食事メニューは、どんなに気難しいコーヒーマニアも、なんとなく丸い気持ちにさせる。

「此処は、こういう場所なのだ」

贅沢な雰囲気に、ただ、身を預ける。

そしてなんとなくケーキを注文しようとすれば、席までサンプルを持ってきてくれるのだが、この瞬間がたまらない。プレートの上に煌めくアートの数々。あなたはそのとき、おもちゃ箱を開けた子供のような顔をしている。

この日、僕はクラッシュゼリーの美しさに魅入られて、ライムとシャンパンのムースと、アイスコーヒーを注文した。

トップに飾られたミントとフレッシュライムが、またなんともいえない大人のバカンス感を生み出している。

この年の夏はジメジメと不快なことが多かったが、この空間だけは現世から切り離されていて、涼しく、ただひたすらにさわやかなのだ。

クラッシュゼリーのぷるぷると舌に吸い付く無邪気さ、はじけるライムソースの酸味を、シャンパンムースが甘く優しく包み込む。そして最後には、やはりライムの微かな苦みがまた近寄ってくる。寄せては引いて。まるでカーテンを揺らして部屋に忍び込むそよ風のようだ。実にバランスがよく、これだけで本当に完成されている。

しかし、あえて、ここでアイスコーヒーをごくりと飲む。

すると、どうだろうか。

都会を横切る一陣の風のように、はっと我に返る。うまい。ザ・アイスコーヒー。これは、どうも舌が研ぎ澄まされる気がするぞ……。

また、ムースへ。そしてコーヒーへ。風は波を呼び、波が風を作り出す。絶えることのない清涼感だ。

チョコレートやチーズケーキのように、珈琲と溶け合うケーキも美味しいが、完全に独立したふたつの要素が、互いを引き立てあるというのも、喫茶の面白さである──。

 

束の間の至福が終わった。

会計を済ませ、また街を行く。

夕刻が近づき、空は仄暗くなっていた。月曜日の近づき、やれやれという気分だ。しかしふと指を鼻先に近づけると、そこにはライムの香りが灯っていた。

 

 

 

 

うつくしい食事 ~Fuzkue~

こんにちは。記念すべき最初のカフェ紹介を投稿してみます。

第一弾……となると、僕が一番好きなカフェについて書きたいな、などと張り切った気持ちが込み上げてくるのですが、一番好きなカフェって何処だろう……? なんて思い至るや、思い出はあり過ぎて、その中からひとつを選ぶなんて、砂浜からひとつの貝殻だけを持ち帰るほど難しい。これでは永遠にブログをはじめられそうにありません。

というわけで、特に難しく考え過ぎずに、ちょうど先日訪れたカフェを紹介します。

東京都渋谷区初台にあるカフェ「Fuzkue(フヅクエ)」さんにお邪魔してきました。

初台という場所は、新宿から京王新線で2分。都心に近いはずなのだけれど、一たび駅を降りてみると、のんびりしたいい雰囲気です。こちゃっとした商店街があるけど、広い緑道もあって、こんな町で生活するのも楽しそうだな~なんてつい考えてしまいます。

僕が初台を訪れるのはこれで3回目かな。初台といえば、そう、「ネギッチン」──というネギ料理専門居酒屋。ネギハイボールがまた最高──なんかもあって、わりと面白い町なのかもしれません。こちらについてもまたいずれ。

さて、改めてFuzkueさんですが、こちらのコンセプトは「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かなお店」。詳しくは公式のホームページをご覧いただきたいのですが、なんとこのお店、おしゃべり厳禁や、キーボードのタイピング禁止など、ゆっくりした時間を過ごすためのルールが存在します。

とはいえ、重苦しい沈黙はなく、「もぅわぁ~ん」というような感じのヒーリングミュージックのようなものが微かに流れています。現代アートの美術館にいるような感じかな。

店主さんも気難しい方ではなく、本当はあれこれ語るのが好きそう。思いや考えの詰まった分厚いメニュー兼ルールブックは、読んでいて楽しい。だけど、交わす言葉は少なめで。店主とお客さんのほどよい距離感。ひっそりとシンパシーを感じる不思議なお昼。

今回は、12:00の開店直後から訪れ、定食と珈琲をいただきました。

定食は、ありがたいという言葉がぴったりな、やさしい定食。あるようでない、理想の和食そのものです。

テーブルの上のさぼてんが可愛いな……とか、雨が止んで、少し晴れてきたなぁとか、そこにある電柱、斜めだなぁ……なんて考えながら、ゆっくり咀嚼して、しっかり栄養確保。

食後の珈琲は、エアロプレスで淹れていただきました。

マグカップにたっぷり。こちらも素材本来の味がにじみ出ていて、思わずにやける味。

カウンターの背後にはおびただしい本があって、読書も楽しめます。余談ですが、この日の僕はサン・テクジュペリ著「人間の土地」を読んでいました。

いつまでも残っていてほしい場所です。また行こう。

珈琲豆も買っちゃいました。三軒茶屋の「OBSCURA COFFEE ROASTER」さんから仕入れているらしい。三軒茶屋もいいところですよね。

行きたいところが増えるのもおでかけの醍醐味です。